116号 人〜自分主義〜

 

仲村真哉さん(ジビエ肉加工・販売会社代表)

Nakamura Shinya

 

 

 

①        発症から山口県への帰郷まで

 

 仲村さんは、山口県南西部の町、厚狭(あさ)に生まれた。大学進学のために県外へ出たが、大学卒業後にクローン病と診断された。

 

●質問

・子どもの頃はどのような環境で育ったか、将来の夢などはありましたか。

子供のころは今住んでいる山口県の厚狭で過ごしました。
今もそうですが、当時も今と変わらず山も川も自然環境が豊かな土地であり、その中で魚を取ったり虫を取ったり、いろいろな自然に興味を持って育ちました。

小さな頃から科学者に憧れていたようで、いろいろなものを調べたり試したりするのが好きな子供でした。
その一方で物語の魅力に取りつかれて、特撮やアニメ、マンガや小説にいたるまで様々な創作物を娯楽として享受する生活を送っていました。

考えてみると小さいころも今もあんまり変わっていないですね。

 

・    発病前後の状況(いつどこで、どんな症状が起こり、病院を受診したか)

高校卒業後、茨城県の筑波大学に通っていたのですが四年生の時に頻繁に下痢が起こるようになり、肛門の周りが腫れる肛門周囲膿瘍になり排便の際に血が出るようになりました。

発熱も続き、どうにか大学は卒業できましたが、大学院に進学していたのですがその後発熱が続くなどさらに体調が悪化、中退することになってしまいました。

その後、一番近くの筑波大学附属病院で痔ろうのくりぬき手術をすることになりました。

 

・    確定診断された際の気持ちはどんなものでしたか(医師から「指定難病で治らない病気」と告げられた時、どのように感じたか)

最初に診断を受けたときはまだ自分の病気がそこまで大変ということを理解しきれていなかったように思います。

手術などによってある程度肛門周囲膿瘍の症状も落ち着いたので、大学院は中退しましたが、普通に就職して生活していけるものと思っていました。

実際、体調が戻る前提で、とある公務員試験を受けて受かっていたのですが、その後体調が戻らずハードな仕事に耐えることができないだろうと辞退することになってしまいました。

 

・    治療と症状の移り変わりを簡単に教えて下さい(診断時には、どんな薬剤を使用したか、転居などが多かったようですが、通院はどうしたか、現在は寛解されているとのことですが、今、受けている治療は『ヒュミラのみ?)

当初は手術後にペンタサなどの処方がされていたのですが、山口県に帰ってきて飲食店を含む施設にシステムや事務職として就職してからはレミケードを試してみることになりました。
レミケード自体はよく効いたのですが、風邪などにかかると一気に体調が悪化するなど影響も大きくなかなか体調は安定しませんでした。
最初の会社で三年間働いた後、県外にでて新古書店で働いたのですが、このころは長崎、青森と店長職についていたたため忙しくて治療をさぼり気味になりました。
病院にいかず食事療法でどうにかしようとしていたのですが、青森県に転勤した際に冬の寒さで完全に体調を崩し、毎日血便が出るようになってしまいました。この後、群馬県に転勤になってその後退職するのですが、群馬県で病院にかかったときはかなり悪くなっており、仕事を休んで入院した方がよいといわれる状態になってしまっていました。

 

 

 社会人となった仲村さんは、リサイクルショップや飲食店で働き、全国各地へ転居を繰り返したという。そして2009年頃、クローン病の再発をきっかけに地元山口県へ戻った。

こうして体が限界になったため、山口県に再び戻ってくるのですが、この時には痔ろうの状況がかなり悪くなっており、瘻孔が10以上あいているような状況になっていました。毎日あまりにも膿が出るので、毎日近所にあった労災病院に歩いて通って抗生物質を点滴してもらうような生活になってしまいました。
……この頃、点滴中に片手で本を読む技術を身につけることになりました。おかげで点滴中の二時間も気楽に病院に通っていました。

しかし、結局回復にはつながらず、現在も通っている山口大学付属病院に転院してシートン法の手術を受けることになりました。

手術後もそのまま、大学病院に通うことになったのですが、ここで今もお世話になっている第一内科の橋本真一先生に出会い、ずいぶん体調が回復したので再び社会復帰して仕事を始めることができました。

今度は近くのブックオフに通うようになったのですが、ここではたまに体調を崩すことはあるものの大崩しすることもなく、職場の理解も受けながら5年間、働くことができました。

橋本先生と相談しながら新しい治療を取り入れることができているので、白血球除去なども試しましたが、今はヒミュラと免疫抑制剤のイムランを服用して体調は安定しています。

 

●質問

・リサイクルショップ(古書店)に勤めた動機は読書が趣味だったからですか?

小さいころから読書は大好きでした。小学校の頃は小説で西遊記を読んだり、児童文学もちょっと偏り気味に読んでいましたが、中学校では江戸川乱歩、高校ではライトノベル、大学生になってからは本格ミステリと様々なジャンルに集中してはまりながら本を読んでいました。

今は時間がなかなか取れず読書量がへっていますが、相変わらずミステリとSFを中心に楽しく読書しています。

これは一生変わらないんじゃないでしょうか。そういうこともあって、転職する際に一番好きなものを仕事にしようと新古書店勤務を決めてほんだらけ→ブックオフと長いこと働いてきました。

 

・    全国あちこちに移って働いたのは、なにか目的や動機があったからですか? (いろいろな風景や場所を見てみたかった、など)

全国を移動したのは一つには転勤が多い職場だったからというのがありました。店長職だったため、一年に一度店舗を異動するイメージで南から北までいろいろなところで働くことができました。

当時は今のように一つのところでじっくり腰を据えるイメージが自分になくどんどん移り住む人間なのだと思っていました。

 

・帰郷のきっかけになったクローン病の再燃はどのような症状だったのでしょうか

転勤した先の青森の冬が非常に寒かった年で、普通に生活していても血便が出るような状況になっていました。

肛門の周りは瘻孔だらけでぼこぼこになっていて、普通に生活するのが非常に難しい状況でした。それでも仕事は皆勤賞で、アイアンマン賞(一年間無遅刻無欠勤)ということで表彰されたりしていました。

が、正直38℃の熱があるのに出勤したりと無理ばかりだったので休みの日は寝込む感じで今考えると非常にまずかったと思います。クローン病は長距離走のようにペース配分するべきと思うので、あの時期に一気に体調が悪くなりました。

 

 

②        ジビエとの出会い

 山口県へ戻った仲村さんは、体調が落ち着くとコンピューター関連会社やリサイクルショップで働いた。2014年、腸閉塞で3ヵ月の入院をしている時、趣味の読書で「ダック・コール」(稲見一良)という猟をテーマにした小説に魅せられ、狩猟に興味を持った。退院後、徐々に体力が回復していくに連れ、実際の狩猟、そしてイノシシやシカによる農作物の鳥獣被害問題を知ったという。同じ頃、低脂肪で鉄分の多いシカ肉は、クローン病で貧血気味の自分に合うのではないかと思いあたり、食べてみると、血液検査値が改善した。これをきっかけにジビエ(狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉)に興味を持った。ただ、この時はまさか自分が猟師になるとは思っていなかった。

 しかし、2016年11月より、実際に猟銃で害獣駆除を行う猟師になる。

猟友会の人たちと話していて、捕獲された鳥獣の多くは破棄されていることを知り、自分のように質の良いシカ肉を必要としている人のために有効活用できないかと考えるようになった。

 

 

●質問

・シカ肉に興味を持った具体的なエピソードがあれば教えて下さい

・猟師になったきっかけ、その具体的なエピソードがあれば教えて下さい

もともと狩猟に興味を持ったのは、入院中に読んだ一冊の小説でした。

10月の終わりから正月を挟んで1月下旬まで入院していたのですが、その間に

90冊ぐらいの読書をすることになりました。時間があったのでこれまで読めなかった本を体系的にまとめて読むことができました。

その中にSFのランキングで上位に入る「ダックコール」(稲見一良)と出会い、短編「密漁志願」にて自分でカモを獲って食べたら美味しいだろうなという夢を持つようになりました。三ヵ月の絶食中においしそうな料理のシーンを見たのが大きかったと思います。

その頃は本当に猟師になる、まで考えていたわけではなく半分冗談のような話だったのですが、カモそばなど食べたりちょっとずつ調べ始めたりしてしていました。その中で現代の猟師はイノシシやシカといった鳥獣被害対策に立ち向かう大物猟が多くなっているということが分かってきました。

イノシシは何となくイメージできるのですが、シカの肉がイメージできなかったので調べてみると、高たんぱく、低脂質、ヘモグロビンが多いとクローン病食として最適なお肉なのではないかと興味を抱きました。

そんな時にたまたま両親の知り合いの猟師さんからシカのロース肉を貰う機会がありました。

その時は焼き肉にしてちょっと焼きすぎたので硬かったのですが、味はとても美味しくこれなら日常で食べてもいいなと思ったのを覚えています。

 

そうして、具体的に猟師になるために動き出すことになるのですが、自分がやりたかったことがカモ猟とシカ猟だったために、罠猟だけでなく銃猟の免許も目指すことにしました。

警察から銃の所持許可をとり、さらに銃猟の免許をとって山に入るようになったのですが、初めて入った山でいきなりイノシシにあうなどいろいろと経験を積ませてもらいました。

今では狩猟歴も四年になり、自分の猟犬のアイちゃんを飼って一緒に山に入るようになりました。

昨シーズンは犬と一緒にイノシシを10頭も獲ることができました。

 

 

③ 西日本ジビエファームを創業

 近年、野生鳥獣による農作物への被害が増えているという。猟友会は、狩猟をする人々の団体(※ 大日本猟友会、各都道府県の猟友会など大規模なものは社団法人、猟友会支部は任意の団体)で猟期に狩猟を楽しむ人が多いが、農業被害対策などで有害鳥獣駆除をボランティア(駆除の数に応じた報奨金あり)として引き受ける場合がある。

 食品衛生法に適合した施設で処理された肉でなければ、また定められた管理・運営基準を守っていなければ、流通に乗せることができない。多くの場合、駆除鳥獣の解体や処理は野外で行われているという。仲村さんは、駆除された鳥獣の肉を有効活用するために駆け回った。しかし既存の壁は厚く、最終手段として、食肉処理業と食肉販売業の許可を自ら取得、2019年にジビエ処理加工施設「西日本ビジアファーム」を創業した。

 日本ではまだ馴染みの薄いジビエだが、一部ではネガティブなイメージを持たれている。それは、知識のない個人や団体が誤った処理を施してしまい、品質が安定しないまま消費者へ届くからだという。それらは臭みがあったり、硬かったりするものもある。しかし、きちんとした処理施設で個体の病気や病原菌の検査などを行い、健康な野生の動物の肉を適切に食用として処理をすれば、素晴らしい食材となる。

 ジビエを通して意外な人との縁も生まれた。日本の本格ミステリ作家の雄、島田荘司さんのパーティに、仲村さんのジビエが提供された。以前から島田さんの大ファンだった仲村さんはサインをもらうなどの幸運に巡り会えた。

 

●質問

・島田荘司さんのパーティにジビエを提供した簡単な経緯を教えて下さい

猟師になってから、「獲ったら食べる」を合言葉にいろいろな動物を食べてきました。

実は自分が住んでいる山陽小野田市にはイノシシが多くシカが少なく、隣の美祢市にはシカが多く住んでいます。このことを罠猟の研修で知り、知り合った猟師さんたちからシカのお肉を貰えるようになりました。

(キロ単位ではなく頭単位でもらえます。自分で解体さえできれば鹿肉に困ることはありません)

そうこうしているうちに体調に変化が出てきて、炎症の値CRPが下がり、ヘモグロビンの値が上昇してきました。

直近の検査は今年の2月ですが、CRP0.03mg/dL、ヘモグロビンが13.9g/dLとどちらも基準値になり安定しています。

やりたいことをやりストレスが軽減された、山に入り運動している、ヒミュラが体に合っていたなどいろいろな要因が絡んでのことでしょうが、鹿肉を常食していることによる安定というのは感じています。

自分で処理しているので安心して食べられるというのは自分にとっては非常にラッキーなことでした。

このシカが今は不要なものとして廃棄されているというのが非常にもったいないく、どうにか事業化できないかと考えたのがジビエの加工施設でした。

起業塾に通うなどして勉強し、銀行から融資を取り付けて時間はかかりましたが施設の開業にたどり着くことができました。
そうした中でfacebookなどのSNSを始めたのですが、そこで意外な出会いがありました。

ずっとファンだったミステリ作家の島田荘司先生(代表作「占星術殺人事件」など)が僕の投稿を目にされて「いいね」をくださいました。

そこで友達申請をさせていただいたのですが、その後まさかの島田先生の古希のお祝いに招かれることになったのでした。そこで島田先生に鹿肉をプレゼントし、当日来ておられた同じくミステリ作家の山口雅也先生(代表作「生ける屍の死」など)とも知り合うことができて非常に楽しいパーティーとなりました。

その後、幹事の村松繁紀さんとやり取りして3回目のパーティーの際には自分の加工した猪肉、鹿肉を食材として原宿のフレンチ ラ・ブーレットさんで提供してもらうことができ、皆さんにジビエを楽しんでもらうことができました。

それとは別に去年は横浜の装幀家 坂野公一先生のお宅にて山口先生とともにジビエを囲むホームパーティーを開催することができました。

自分とは全く別世界のあこがれの人だった島田先生、山口先生に自分のジビエを食べてもらい喜んでもらえたことが猟師になってジビエ事業を始めてから一番うれしいことだったかもしれません。

実はサイン本が大好きなのですが、島田先生と山口先生のサイン本という宝物が思わぬ形で手に入ることになり望外の幸せを感じることができました。

 

④ 結語

 仲村さんは、シカ肉はクローン病患者さんにも食べられる食材であり、しかも自身の場合には貧血や炎症値の改善にも効果を感じられた、と考えた。もちろん、すべてのクローン病患者さんに合うわけではないだろうが、食事の幅を広げる可能性はある。病気に関係なく、一般家庭の食卓に、安全で美味しいジビエ肉を安定的に提供し、新たな味覚を知って、食事を楽しんでほしいと考えている。

 

●質問

・奥様とのエピソードがあれば、ひとつかふたつ、教えて下さい

実は妻との出会いはクローン病になってからで、最初の職場で出会ったのでした。

仕事こそしていましたが体調もしょっちゅう壊すし、よく結婚してくれる気になったなと思っています。

結婚後も食事制限に合わせていろいろとメニューを考えてくれ、入院中は毎日お見舞いに来てくれるなど頭が上がりません。実は夫婦喧嘩を一度もしたことがなくてケンカしたらどうやって仲直りすればよいのかいまいち分かりません。

ジビエ事業を始めたときも、こうやってやりたいことができるように回復したんだからやりたいことをやったらいいと応援してくれ本当に感謝しています。

クローン病で事業に挑んだ自分もたいがいチャレンジャーだと思いますが、奥さんの方がよっぽど肝が据わっていると思いますね。

感謝です。

 

追記 現在、山口県の下松市にある朝日屋さんというハムとソーセージを作っているお肉屋さんでウインナーとソーセージを作ってもらっています。このシカウインナーとソーセージが非常に低脂質でクローン患者向けと思うので是非食べてみて欲しいです。